タケダワイナリーの歴史

タケダワイナリーの歴史を考える時、重信のぶどう栽培への情熱はさることながら、しかし、その業績を影になり日向になり、皆の中心にたって支える者がいたはずです。
それが、妻の良子でした。彼女は上山市より北西の寒河江市の富裕な商家に生まれ、小さい時より“良い品物を扱うこと”を見て触れて育ったのです。嫁ぐまでは、実家の店で、天性の商業センスで敏腕をふるっていました。ワイナリーに来てからは、それを生かし資金繰はもちろん財務、経理の近代化を行い、ワイナリーのPRに携わり、見学コースをつくるなど、ぶどうとワイン造り以外に関するワイナリーの発展は、彼女に負うものが大きいといえるでしょう。その良子が一番印象にあるのは、火災時のことです。「その時、タケダはもうだめだと言われたのよ。でも従業員さんは誰一人辞めずについてきてくれたの。うれしかった。」会社とは人だという良子らしい言葉です。
タケダワイナリーは、1989年に日本で初めての本格的ないわゆるシャンパーニュ製造に成功します。昔から女性が好んだシャンパン。タケダワイナリーのそれは、ドメイヌ・タケダ《キュベ・ヨシコ》と名づけられました。キュベとは、意訳すればその人のために造ったとでも言えるでしょうか。この名を決めたのは、他ならぬ重信でした。