タケダワイナリーの歴史

いくら悲しんでも、ぶどうは毎年確実に実をつけます。伸一の遺志を受け継いだのがその妹典子でした。典子は、玉川大学農学部農芸化学科卒業後、ちょうど伸一帰国後の1990年にフランスへ渡っています。彼女も小さい時からワインに魅せられた一人でした。フランスではフランス国立マコン・ダヴァイ工醸造学校上級技術者コースを専攻した後、醸造学者ジャック・ピュイゼ主催のフランス国立味覚研究所にて研修、そしてボルドー大学醸造研究所ティースティングコースを修了し、1994年に帰国しています。タケダワイナリーでは兄のもとで、ワイン醸造家として働いていました。

兄の死をきっかけに原点にもどってタケダワイナリーを見つめる決心をします。
典子は言います。「まだまだ試行錯誤ですが、土の特性、気候の特性を掴んでそれを生かしたぶどう造り、ワイン造りをしていきたいのです。」「それを見つけるには、自然と共に、体と頭と感性・・・五感をフルにつかって仕事をすることなのでしょうか。」
現在は約15ヘクタールになった美しいぶどう畑と、「武田食品工場」時代からのベテラン、ワイン造りに引き寄せられた若いスタッフ18名と共に、発見の毎日です。

また、最後にこう言いました「兄が生前よく言っていたんですよ、『だまっていてもぶどうは毎年毎年実る、ワイナリーは繋げて行くことが大切なのだ、我々は歴史の礎にすぎない』と。」